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私の神経生理学研究は岐阜大学医学部の学生のときから始まった.Hans CreutzfeldtはミュンヘンでAlois Alzheimerの下で働き,1920年ごろクロイツフェルト・ヤコブ病を記述したことで知られる.その子Otto Creutzfeldtがミュンヘンのマックス・プランク精神医学研究所で脳波研究をしていた当時,そこへ留学され,その後岐阜大学生理学教室に赴任された渡辺 悟助教授に1),ウサギ大脳のグリア細胞膜電位の測定を指導してもらった.Otto Creutzfeldtのもとには,パッチクランプ法によってイオンチャネル分子の開閉の動きを捉えることに成功し,1991年にノーベル医学生理学賞を受賞したErwin NeherやBert Sakmann博士が参集した.したがって,私の研究者ルーツは言わばAlzheimerまで遡ることができ,Hans Creutzfeldtの孫弟子であるNeher博士とは孫弟子同士であることを誇りに思っている.私は,名古屋大学医学部の大学院生として,環境医学研究所(御手洗玄洋教授)でグリアと神経細胞の膜電位比較の研究を続けた.一方,愛知県が日本一金持ち県であった1970年ごろに,春日井市にある愛知県心身障害者コロニーの中に発達障害研究所が開設された.そこへ低酸素などの脳障害時にビリルビンによって脳性麻痺などが生じる発達障害である核黄疸の研究に研修医として参加した.そこでは,TCAサイクルのリンゴ酸脱炭酸酵素がビリルビンで阻害され,ATP産生が低下することが原因ではないかという結果を出した.その35年後に再び発達障害の研究をするようになるとは,巡り合わせだと思っている.また脳から,グリアと神経細胞をショ糖密度勾配法で分取し,グリア分画のmRNAに記憶が蓄積されるという仮説に対する検証研究を行ったが,それぞれの分画の純度に問題があることがわかり中止した.大学院生のときに行ったニューロンとグリアを同時に扱うという一連の研究が認められ,当時の最高技術であったセンダイウイルスで掛け合わせて作製されたニューロブラストーマ×グリオーマのハイブリドーマで記憶の研究を進めていた米国NIHのMarshallNirenberg博士のもとに1976年に留学できた.当時,Nirenberg研究室は,遺伝暗号の翻訳研究による1968年のノーベル医学生理学賞受賞から約10年経ったころで,神経クローン細胞における記憶の暗号解読プロジェクトが一定の到達点に来ており,大変活気があった.
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