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Ⅰ.はじめに
さっそくですが,ご自分がいま,排泄ケア(オムツ交換)をしていると想像してみてください.
まず,対象が乳幼児の場合を想像してみましょう.たいていの人の声は高くなり,幼児言葉になります.「ハイハイ,おむちゅかえまちゅよ〜」顔は笑顔になり,楽しそうです.仮に,オムツを開いたとたんに排尿され,それが手にかかってしまったとしても「わあ〜,元気だ,元気だ!」と喜び,果ては「たくさん出たね〜! いいうんちだ!」と排泄物のことまでほめちぎるでしょう.そして,オムツ交換が無事終了すると,乳幼児を抱き上げ,ぎゅっと抱きしめて頬ずりするのです.心の中は,愛しさと幸せで満ち満ちているのではないでしょうか.
次に,対象が高齢者の場合を想像してみましょう.別段声色を高めることもなく淡々と,オムツ交換をさせてもらう旨を伝えるのではないでしょうか.オムツを開いたとたんに排尿されてしまうようなことがあれば,平常心が負の方向へ揺らいでしまうかもしれません.少なくとも,元気だとほめる気分には到底なれないでしょう.ましてや,多量の排泄物であれば,「いいうんちだ!」などとほめている余裕はますますなくなります.いかに敷布や衣類を汚染せずに交換するかに集中しなければならず,おのずと顔つきも厳しくなってしまうのではないでしょうか.悪戦苦闘の末,無事オムツを交換し終えると,疲労感と安堵がどっと押し寄せてきます.そして,ため息をつきながら,早々にその場から立ち去りたくなるのです.抱きしめて頬ずりする気力は,少しも残ってないでしょう.
同じ排泄ケアであるのに,なぜ,ケアの担い手側の状況にここまでの差異が生じてしまうのでしょうか.
考えられる原因は多々ありますが,そのなかのひとつに,「エネルギーの流れ」があると思っています.水が高い所から低い所に流れるように,人のもつエネルギーも高い所から低い所に流れると考えてみると,みえてくることがあります.
人間のなかで,生命力のエネルギーが最も高いのは,生まれたての赤ちゃんです.彼らはギュッと凝縮した,生命力の塊です.しかし,生まれ出た次の瞬間から,そのエネルギーは拡散を始めます.まるでコーヒーの上に垂らしたミルクのように.年齢を重ねるほどに拡散が進み,エネルギーは低くなり,いずれ霧散して死に至るのです.つまり,乳幼児のエネルギーは高く,高齢者のエネルギーは低いということになります.
エネルギーは高い所から低い所に流れますから,乳幼児のオムツ交換をしたときには,乳幼児のもつ高い生命力エネルギーが,ケアをする側であるわれわれに流れ込んでくることになります.したがって,われわれは乳幼児のオムツ替えをするだけで,満たされるのです.
逆に,エネルギーの低い高齢者のケアをしたときには,高齢者よりもエネルギーの高いわれわれからエネルギーが吸い取られていくことになります.同じ排泄ケアであっても,こうしたエネルギーのやりとりの内情が異なるため,ケアの担い手側の状況も異なってくるわけです.
もうひとつ考えられるのは,投影です.われわれは老いた人の姿をみたとき,そこに未来の自分の姿を投影せずにはいられません.認知症の様子に相対したときも,未来に起こり得るかもしれない自分の“崩壊している様”をまざまざとみてしまうのです.つまり,高齢者のオムツ交換をするたびに,ケアの担い手は自分自身の未来が暗転し,漠然とした不安と嫌悪感が蓄積していくのを感じることになります.
その投影は,ほぼ無意識のうちに行われます.そのため,明確な理由がわからないまま,何となく「生きる気力がわかない」といった状態になり,いつのまにか「何のために生きるのかわからない」と,生きていく先に希望がもてなくなってしまうのです.これが,いわゆるスピリチュアルペインです.
このように,高齢者のケアの現場は,他職種と比較しても負担が大きく,より多くのスピリチュアルペインを抱えてしまう環境であるということがいえるでしょう.
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