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私たちが臨床で出逢う人たちは、一人ひとりが取り替えのきかない独自の存在であり、この世における一度だけの存在である。言うまでもなく、その人の人生はその人しか生きる事の出来ない固有のものであり、誰もがそれまで生きてきたプロセスのなかで培ってきた価値観がある。治療やケアの方針決定にあたって、私たち医療者は病気の状態や治療法についての専門的な知識や技術をもっており、一方患者もそれぞれが固有の人生(物語られるいのち)を生きている存在であり、これからどう生きたいかについての想いや期待がある。立場の異なる両者が目標を共有し話し合いを重ねるなかで、いまどうすることが最善なのかについて合意するプロセスが重要であり、それが医療における共同行為の意味である。そしてそれは相手を人間として尊重する臨床倫理の基盤でもある。
このプロセスを「情報共有―合意モデル」(清水2009)として図に示した。医療者(医師だけではなくその患者に関わるナースやMSWなどの専門職)は、生物医学的(biological)側面からエビデンスに基づいた最善についての一般的判断をする。そして患者・家族のさまざまな状況にしっかりと耳を傾け、仮に医学的には最善ではない治療であっても、いまこの人にとっての最善である治療を決定することが相手を人として遇する(尊重する)ことである。そしてこれは「インフォームド・コンセント」に代表されるコミュニケーションのやり取りをもって進められるものであり、患者にとってはこのコミュニケーションのプロセスが医療に対する信頼と安心、時には勇気さえももたらすことになる。この合意モデルは患者に関わる医療専門職間でのコミュニケーション、医療者・患者、家族間のコミュニケーション(対話)が日常的になされる文化があってこそ成り立つ。そもそもコミュニケーションとは、立場や考え方を異にするもの同士が理解を深めていくプロセスであり、その語源はcommunicatioというラテン語で、「共通にしていく、共同のものにしていく」という意味をもつ。このコミュニケーション本来の姿勢をとることが、相手を人として尊重する姿勢の核になり共同行為の基盤になる。
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