第3回日本腎不全看護学会・学術集会記録 【教育講演】
透析療法の限界と展望―日本における透析中止の現状とあり方
大平 整爾
1
1日鋼記念病院外科・腎センター
pp.15-19
発行日 2001年4月15日
Published Date 2001/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.7003100068
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はじめに
日本は,世界に冠たる長寿国である.人は何人も,老病生死を避け難い.老いは若い人にとっては,いずれ歩み行くことになる道程である.長寿は障害を有しての生となりがちであるが,願わくば生き行くことを喜べる生でありたい.私ども医療者の務めは万人が求めるこの願望に共感と寄り添いの気持ちを基盤に,協力していくことにある.医療の基礎となる医学が目覚ましい進歩・発展を遂げたことは明白な事実であるが,病いに陥った人の気持ちは古来より本質的に変わりがないのではないか.およそ90年前,石川啄木(結核)は「病みてみれば/心も弱わまらん/さまざまの泣きたきことが/胸に集まる」と歌った.
一方,平成の歌人・川口常孝(パーキンソン病・進行性核上性麻痺)は「執着と放棄の/せめぎ合う/病む者が負う足枷」と歌い嘆いた.医術は過去の多くの不可能を可能にはしてきているが,病み人の心のうちは常に苦悩に満ちているものであろう.
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