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1.はじめに
規制やガイドラインは、不祥事や違反行為をきっかけに策定されることが多い。最近の出来事では、文部科学省が平成26年8月26日付で研究不正に対するガイドラインを発表したことが記憶に新しいが、同年1月に生じたSTAP細胞事件がきっかけだった。運転免許の更新時に、交通違反者へ凄惨な事故現場の映像を繰り返し見せることに、違反を抑制させる効果があることは実証されている。だから、研究倫理の研修でも、ナチスの人体実験への反省から生まれたニュールンベルク・コードやそこから派生したヘルシンキ宣言、1932年に始められたアフリカ系米国人の人体実験であるタスキギー梅毒事件など、非倫理的事件を学ばせるのである。非倫理的行為を知ることで、受講者が倫理的良心を滋養されることはあるだろう。しかし、本来“学ぶ”とは反面教育ではなかったはずだ。ここで、中井久夫の「医学の修練について」の冒頭部分を紹介して、学ぶという行為についてもういちど考えてみる。
『鉛筆を削るという行為を、全く文章だけで伝達することは可能か。鉛筆もナイフも見たことのない人間に、実際に文章を読み終わった時に鉛筆が削れるように、と。
多分可能だろう。けれども、一冊の本を要するだろう。そしてあまり器用にはやれないだろう。目の前で鉛筆を削ってみせること、初めて削る時そばにいること、出来栄えについて一言、二言述べること。このほうがずっと効率的である。』
上記の中井の論考を援用すれば、倫理を学ぼうとする初心者がいたとして、倫理を文字だけで理解するには一冊の書籍を要してしまうとは言えないだろうか。鉛筆を見たことも削ったこともない初心者の前で、鉛筆を削ってみせるように倫理的行為の実際を紹介できれば、倫理を腑に落ちる体験として理解できるのではないだろうか。
倫理に悖(もと)る行為を目の当たりにすることから倫理を学ぶのではなく、倫理的にふるまった先人を目の当たりにすることで倫理を学んでみようと思う。
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