連載 科学的根拠に基づいた社会参加の意義と実際・第1回【新連載】
人としての社会参加の意義—人類学および神経科学からの洞察
森岡 周
1
Shu MORIOKA
1
1畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター
pp.61-65
発行日 2018年1月15日
Published Date 2018/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5003200782
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はじめに
生まれたての新生児は大人とは異なり,ある種この世の終わりといわんばかりに泣き叫ぶ。それしか不快情動を相手に伝える術がないからである。人は他の動物に比べ相当に未熟な段階で生まれる。ゆえに,新生児は他者の手助けがなければ生きることができない。だから,人は泣きわめくことで他者の注意を引きつけ,そしてそれを見聞きした大人は親でなくとも「なんとかしなくては」という意識を生み出し,その子を抱き上げる。このように人の社会は他者を支え,そして他者に支えられて生きるように仕組まれている。こうした社会的行動を通じて,人は他者とつながり,そしてその社会を維持するために,人はコミュニケーション行動をとり続ける。
さて,人間らしさの象徴の1つとして二足歩行が挙げられるが,それは手を用いて道具や獲物を運搬するための手段であったと考えられている1)。採取した食料を協力しながら運搬する。そしてそれは自己のためだけでなく,住んでいるコミュニティのためであったことは想像に難くない。歩くことは手段でしかなく,それには目的が伴う。狩猟した獲物を協力して持ち帰るといった行動は,まさに未来の自己のためといった利己意識に加え,他がためにという利他かつ社会的な意識を持った人間だからこそ生まれたものといえる。社会に存在しその中で役割を持ち続けようとする志向性は,祖先から変わらず引き継いできた,まさに人間らしさを象徴する意識である。ゆえに,人としての意識を継続するためには,高齢,障がい者になっても,社会の中に自己を位置づけさせる必要がある。本稿では人類学および神経科学の視点から人の社会参加の意義について考え,本連載の口火を切りたい。
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