連載 歴史と遊ぶ・第2回
江藤幸庵の長崎遊学
江藤 文夫
1
Fumio Eto
1
1国立障害者リハビリテーションセンター
pp.139-144
発行日 2014年2月15日
Published Date 2014/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001100408
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医学における西洋との出会いと曲直瀬道三
わが国の医療技術と医学の体系は,中国大陸で発達した知識を直接あるいは朝鮮半島諸国を経由して導入されたものに由来する.中国大陸由来であるが,律令国家と呼ばれる日本的な制度下で,大宝律令(701年)の「医疾令」で規定された国営医療の官職名である「医師」が今日まで医療専門職の頂点の呼称として普及している.庭師,ペテン師と同様な「師」に関して,明治維新に際しては「医士」名称へのこだわりもみられたが,ごく一時的な現象であった.
西洋医学との出会いは,アラブや西欧諸国から中国大陸経由で,さまざまな情報が流入していた.しかし,歴史教科書的には,1543年に種子島にポルトガル船が漂着して以来,来日するようになったキリスト教の宣教師を通じてということである.最も有名なものは,ポルトガル人宣教師のルイス・デ・アルメイダ(1525?~1583)で,豊後の大友宗麟に勧めて,幼児のため,ハンセン病者のため,窮民病者のため,3カ所の救済院を設立した(1557年).当時の洋式病院であったとされる.
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