生活ノートから
長崎にて
松谷 みよ子
pp.70-71
発行日 1969年1月10日
Published Date 1969/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204368
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先月,広島を訪れた私は,機会があって長崎へ寄ることができた。長崎は1度行ってみたいと思ったので,大分から熊本へ出たあと足をのばしたのだが,1つ,意外なことにあった。それは原爆を投下された,世界でただ2つの都市である広島と長崎の,大きなちがいについてであった。
同じ原爆を受けても,広島は訴え,長崎は祈るといわれている。長崎にはキリスト教徒が多い。そのため,原爆の惨事を世に訴えるというのではなく,忘れよと説いたのだとは,長崎のある一市民の話であった。昭和20年8月9日,午前11時2分,長崎市上空で炸裂した原子爆弾は一瞬にして7万5000余名を死傷させた。傷ましかったのは落下中心地に近い浦上天主堂に集った信者たちで,折りから昼の礼拝時だったため,神に石された小羊の如く焼け燗れ,当時1万2000名あったといわれる信者の大半は犠牲となったという。
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