教室だより
長崎大学
清水 純
1
1長崎大学
pp.299
発行日 1967年3月20日
Published Date 1967/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200138
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昭和32年11月,西洋医学教育発祥百年,長崎大学医学部開学百周年を記念しで作られた「長崎医学百年史」を見ますと,「安政四年本学を開講したポンペは,長崎における性病の蔓延を憤り,種々対策を講じ検梅を実施した。更に明治初年より皮膚病および梅毒学として,外科学の一分科として取扱われるようになり,長崎医学校時代以後講座を分担した。大正3年5月,青木大勇先生が専任教授として着任され,ここに始めて皮膚科,泌尿器科教室の独立を見た。」とあります。
皮膚科,泌尿器科教室ができてから,爾後歴代の教授が教室の発展につくされて参りましたが,昭和20年,北村包彦教授が御在任当時,あのいまわしい原爆の被災により,大学は全く壊滅的な打撃を受けました。戦後,北村精一教授を迎え,教授の再建に,また存在すら危ぶまれた母校の復興につくされ,戦後の皮膚科,泌尿器科教室の母地を復興されました。そして1昨年には,皮泌科教室50周年記念式を行なうことができるまでになつた事はまことに感慨深いものがあります。
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