話題
まだ広がるアラキドン酸カスケード
清水 孝雄
1
Takao Shimizu
1
1東京大学医学部栄養学教室
pp.384-389
発行日 1984年10月15日
Published Date 1984/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425904613
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ノーベル医学生理学賞はカロリンスカ研究所内の選考委員会(委員長P. Reichard教授)で決定される。1982年10月11日の発表会場は世界各国からの報道人と多数の研究所員でうめつくされていた。毎年,この日が近づくと,研究所内では種々の噂や予想がとびかう。実際,この年は半数以上の人が「プロスタグランジン研究」を候補にあげ,この他モノクローナル抗体法,リポ蛋白代謝,抗体遺伝子,B. MaClintock女史(1983年受賞者),Caの機能,ヘムと酸素等々の分野での「候補者」が人人の話題にのぼっていた。選考委員長がBergström,Samuelsson,Vaneの三博士の名前を呼び上げたとき,会場から大きな歓声が上がった。日頃身内に厳しいスウェーデン人たちもこの受賞には大きな拍手を送った。
筆者はたまたま1982年4月より2年間カロリンスカ研究所の化学教室に在籍し,Samuelsson教授の指導をうけ,また市庁舎での有名な「ノーベル晩餐会」をはじめとするいくつかの行事に出席する幸運をえた。本稿ではこの教室で見聞きしたことを中心に,アラキドン酸カスケードの研究の発展の歴史と今後の展望などについて書きまとめたい。研究室の具体的な紹介と筆者のスウェーデン印象記は先に拙著1)で書き述べた。
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