--------------------
あとがき
岡本 仁
pp.92
発行日 2016年2月15日
Published Date 2016/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425200408
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
年を取ってくると,なかなかものを思い出せなくなる。人の名前も,すぐに出てこなくて,その人に関する様々なエピソードを思い出したのちに,やっと名前を思い出すことができることもしばしばである。自分の頭の巡りが遅くなった御陰で,脳の中で,記憶の棚の引き出しから,思いつく手掛りをたよりに,しまわれた正しい答えを取り出す様子を実感できるようになった気がする。ただ思い出される記憶が,本当に正しいものとは限らない。自分ではそうに違いないと確信していても,とんでもない思い違いのこともある。あるいは,近年の剽窃事件のように,“思い違い”ではなく,“思い込み”によって記憶が書き換えられたのではないかと疑われる場合さえある。記憶は,価値判断を伴っている。これも不変かどうか疑わしい。青春時代の苦い体験も,年月を過ぎれば甘味な思い出にしばしば変わる。価値観や因果律の記憶は,経年だけでなく様々な事後の体験によっても変容するのかもしれない。昨今の宗教や民族的対立や,それに伴うテロ事件などにも,外的要因による価値判断の記憶の変化が関係しているかもしれない。本特集号では,年末という大変忙しい時期にもかかわらず,執筆者の先生方には,ご自分が世界を率いている記憶研究の最前線を解説していただくことができた。上に述べた私の記憶にかかわる想像(妄想?)にも,本当はこうなんだよ,という答えを聞かせてもらえる日が近い気がする。執筆者の皆様には,深く感謝いたします。
Copyright © 2016, THE ICHIRO KANEHARA FOUNDATION. All rights reserved.