自著を語る
―『臨床で書く―精神科看護のエスノグラフィー』―臨床看護研究は誰が何のためにするのか―臨床看護研究の当事者性をめぐって
松澤 和正
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1国際医療福祉大学保健医療学部看護学科
pp.98-102
発行日 2008年9月15日
Published Date 2008/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100546
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臨床看護の問題は「誰に」生じるのか
私は、本年3月に『臨床で書く―精神科看護のエスノグラフィー』(医学書院刊)なる本を上梓した。内容的には、私が精神科急性期病棟に勤務していた際に経験した、特徴的なエピソードを1つずつ再構成し、それを分析し考察するという、きわめて素朴な方法によるものである。読まれると「これではただの事例研究ではないか」という感想をもたれる方も多いのではないだろうか。しかし、私なりの方法的主張は、事例に基づく研究であるものの、おもに臨床人類学的な視点や方法から記述された「エスノグラフィー」である、というものだった。
この主張が説得力をもつものであったかどうか、私自身いまだかなりおぼつかないところがある。むしろ、「(臨床における)エスノグラフィーとは何なのだろう」という問いが常にあって、それを考え迷いながら書いたというほうが当たっている。さらにいってしまえば、必ずしも「エスノグラフィーとは何か」という問いそのものが重要であったわけでもない。事例研究といわれようが、その他の質的研究といわれようが、実はそれほど(私にとっては)問題ではなかった。「自分は、こういうコンセプトと方法に基づいて、こういう問題を考えてみた」というだけで十分であるように思えたから。
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