書論 『見えないものと見えるもの』
「社交」は看護者の呪縛を解く?
栗田 育子
1
1大阪府立精神医療センター
pp.70-74
発行日 2004年5月1日
Published Date 2004/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100223
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人のこころにかかわる仕事の魅力はどこにあるのだろう。時々,ふと思うことがある。私はなぜこのような仕事に携わり続けているのかと。自分の発する言葉の1つひとつ,私のとる行動の1つひとつには,きっと私自身の今まで生きてきた環境や社会での経験が無意識に反映されているに違いない。同じように,仕事でかかわる同僚や患者さんにも,それぞれの体験があり,それらは1つとして同じ体験はない。そのようななかで,相手を理解しようとするとき,自分の体験の延長線上に相手の状況を推し量るしかないのだ。
自分の働く病棟に40人の患者さんがいれば,40人の「わたしの人生」があり,20人のスタッフがいれば20人「わたしの感性」があるという事実をふまえながら,人生の一時期,相手のきれいごとではすまない部分や他人には知られたくない部分を目の当たりにし,思いもしなかった自分の弱点や冷酷さをさらけ出さなければならなくなる。そのとき,自分のこころに巣くうものを見つめなおさなければならないはめになり,援助者は被援助者になって,自分が援助している対象に育てられ援助されていることを思い知らされる。
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