特集1 看護と死
看護者と「思索者」との対話に思うこと
武井 麻子
1
1日本赤十字看護大学精神保健看護学
pp.21-22
発行日 2004年1月1日
Published Date 2004/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100176
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無言の目撃者の決意が揺らいで
大学院の特別講義の講師として,私の大学1年生のときからの友人である小林康夫さんをお招きしてから1年半ほど経ちます。当時から彼は,「世のなかの現象すべてを言葉にしようとしている」という印象の人でしたから,看護を知らなくても看護について語れるだろうと思っていました。予想にたがわず,特別講義はたいへん刺激的で面白いものでしたが,その後,メールという便利な道具のおかげで,そこでのやりとりが若い世代に継続され,広がっていくことになったのは,思いもかけないお土産でした。今回,その一部をまとめるに当たって,小林さんが書いてくださった文章を読んでいるうちに,大いに触発され,最後まで無言の目撃者に徹しようと思っていた決意が揺らいでしまいました。
私が揺さぶられたのは,「『近くにいること』という看護の本質」という言葉に遭遇したときでした。しかも,その後に「死を超える可能性について」と書かれています。ここで私はある物語を思い出したのです。カンガルーの逸話が出てくるのはその後ですが,私の連想とも偶然に重なっていました。それは『燃え尽きた人間』という小説です★1。
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