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春になった。桜の便りも聞かれる頃である。自分の体内に祭典のような蠢めきを感じる。新入生を迎えるごとくどの大学の教室も新しい教室員を迎えるだろう。つきなみな表現だが,彼らは期待で胸をふくらませ不安で胸を焦がしているだろう。私もそうだった。大学を卒業して,国家試験の発表を待っている時に観た映画を思い出す。ロバート・レッドフォードが初めて監督した作品,「普通の人々」。アメリカ中西部中産階級のとある家族,主人公の高校生コンラッドは,兄と2人で乗っていたヨットの事故で兄が死んだ後の自殺企図で精神科に入院し,その退院後に再び学校に戻っているが,生活に絶えず疎外感を感じ自分の感情がつかみきれない。父の勧めでバーガーという名の精神科医に通院し,次第に自分の感情を取り戻していく。夢でヨットの転覆事故にうなされる場面,泣きながらバーガーに電話をかけ,助けを求める場面などコンラッドの苦悩が伝わる。しかし兄を溺愛していた母は,そんなコンラッドに冷たくあたる。その妻の態度に父は結婚以来初めて疑念を抱き始める。家族が崩壊していく過程で真の家族が見える。素晴らしい映画だった。バックに流れていたパッフェルベルのカノンもよかった。映画館が明るくなったときに,私は涙を眼にためていたために一緒にいた人から優しく笑われた。説明はしなかったが,コンラッドが頼るバーガーの姿に患者の苦悩につきあう精神科医を見て,そこに入局を前にして不安の漲っていた私は素直に感情移入できたのだろう。バーガーをまねて,精神科医として当たり前のことだが,患者からの電話にはできるかぎり応じるように心がけている。当時PTSD(外傷性ストレス障害)という概念は日本には紹介されていなかったが,コンラッドはPTSDだったと思う。自分の診ていたなかなか合点のいかなかった患者がPTSDだと腑に落ちたとき,コンラッドもPTSDだったと気づいた。
この「腑に落ちる」という体験はどういうものだろうか。それは何例か同じような症例にあたって,自分の経験というものができ,ある程度考えがまとまり,一応の診断はし,自分の頭の中で整理はする,しかしなんとなく引き出しの場所が間違っているのじゃないかという感覚をひきずっている,そこで,正しい引き出しを見つけたという感覚だろうか。このような帰納的な思索態度が重要ではないかと,私はこの頃考えている。
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