巻頭
思索と實驗
熊谷 洋
pp.97
発行日 1952年12月15日
Published Date 1952/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905682
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生命現象を研究対照とする生物学の研究に於ては,その対照である生命現象そのものが極めて復雑なそして未知の要因を餘りにも多く含みすぎているために,ある特定の方法で探求する限りどんな解釋でも下すことができる。そしてその研究方法は時代と共に變遷し又その研究方法にも,はやりすたりが見られる。曾つて膠質学のすばらしい進展が一時の流行であつたため,あらゆる生命現象を膠質学の手段乃至方法をもつて解明せんとする立場がとられた。そしてそれはその方法の達しうる限りに於て一應の役割を果したかに見えた。次いで登場したものが水素イオン濃度であつた。つまり物理化学的な方法で生命現象の最も基本的な理学的性状を解析することであつた。次いで蛋白質の化学とこれと不可分の關係にある酵素学の躍進に伴つて,生命現象をすべて酵素学的な立場から探求せんとする傾向が最近の流行の如く見える。この立場は必然的に構造と機能との問題を提起する。見方によれば膠質学も水素イオン濃度の問題も共に,今日の酵素学發展の前段階をなしたものといえよう。從つてこれらの傾向を一種の流行と見做すことは輕卒のそしりをまぬがれないかも知れないけれども,この研究方法の發展の經路—それの必然性を—を充分洞察することなく,單にその必然結果から生じた方法のみにとらわれるならば,方法に酷使されて方向を誤るという事態に立ち至る危險性がある。
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