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独りになれる場が全くない精神科病棟
精神科病院に入院している患者さんにとって、病室、特にベッドは拠りどころであり、他人から侵されることのなく唯一「個の領域」を主張できる空間である。しかし、これまでの精神科の病棟には、このベッドを含めて、独りになれる、もしくは人の目にさらされずにいられる場はなかったといってよい。
疾病のために動けない、あるいは動きづらい状態となる身体疾病の病室でさえ、キュービクルカーテンでベッドごとに仕切ることができるし、医療・看護側の管理的、経済的な要請を超えて、個室化が日常的な議論の中心の1つとなっているところである。しかし、精神を病み、社会的生活が営めなくなってきた人間が入院する精神科の病棟では、安全管理、自殺防止を理由に個別領域を設定することができず、自分自身と向き合える場が保護室だけにしか設けられてこなかったということは、今になって思えば驚きであるとしかいいようがない。
満員電車の中、赤の他人と身体と身体が常に触れ合っている環境を考えてみる。全く不快であるはずが、その異常な密度のわりにトラブルは意外なほど少ない。それぞれが目を閉じ、文庫本を読み、ヘッドフォンで音楽を聴き、わずかなすき間から外の景色を見やるなどして、30センチと離れていない他人の顔との距離の中に自らの世界をつくり上げることによって、不快感を和らげる努力をしている。隣に立っている人間がどんな表情をしているかさえ知らない。かまっていられないというのが本音であろうか。
最近の研究の中で、精神科の入院患者の視線が一般のそれと異なるという報告がある。特に知り合い同士の視線が、向き合うこともなければ、同一方向を見てもいないというのである。病棟内で起こっている事象としては大変興味のあるところであるが、もし病棟内に常にプライバシーを確保できるスペースがあったならば、同じような結果は生まれていただろうか。
精神科病院で入院している状態は、相互距離はともかく、少しゆとりがある満員電車の中で24時間暮らしているようなものだと喩えられないだろうか。他人の干渉から解放されるためには、心を閉ざし、頭から布団でもかぶっているしかない。初めて入院する人にとって病院は知らない人しかいない場所である。見守っていてほしいと思う、本来は味方であるはずのスタッフからは主従の関係で常に監視され、同じ境遇の同室者に対しては、当初はおそれを感じているのが現実ではないだろうか。その上で、プライバシーのない環境に慣らされると、常に他者の存在を感じることでたった1人ではない自らの存在を確認しているのではないか(ただし防衛意識は高いままで)、と想像してしまうのである。
特別養護老人ホーム6床室の利用者の行動を検証した例がある。窓際、廊下側の入居者は病室の中心と反対側か天井を見ていることがほとんどで、真ん中の利用者にいたっては寝ているかひたすら天井を見つめていたという報告がある。つまり、中央の利用者には姿勢としての逃げ場が全くないということである。他人への気遣いも含めて、トラブルを最小限に食い止めるための方法論を無意識のうちに実践していたといっていいだろう。
未だに4床を超える多床室を抱える病院は少なくない。先日、建築雑誌で紹介されていた著名建築家による精神科病院は、4床ではあるが、間口が4mで奥から順番にベッドが平行に並ぶ配置になっていた。病院側からの要請もあったのだろうが、その設計者の解説によると「患者の共同性を重要視したため」であり、「個室が欲しいときには治っている」とあったが、患者さん個々の立場に立つ配慮にあまりに欠けているのでは、と悲しくなった。
本来、人間は集団で生活することで種の保存に成功してきた。だから複数の人間がある空間単位の中にいることを心地よいと感じる。しかしそれは、独りでいられる空間が保障された上でこそ、である。家族であればまだしも、赤の他人同士が、病気であることを理由に集団生活を強制されるのである。1人の人間として、入院をして社会性を取り戻すためには、独りになれる場所が絶対に必要であると、確信に近い感覚でいえる。
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