連載 下実上虚・10
「入院」という触法患者の処遇に、不公平さを感じてしまう
西川 勝
1
1大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
pp.66-67
発行日 2006年5月1日
Published Date 2006/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100049
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ある看護師のため息
「入院」という触法患者の処遇に、不公平さを感じてしまう。
電車のなかで他人をぶん殴った、実兄を8か所刺した、夫を刺した……そういう人が、24条通報で鑑定を受けずに、触法患者として措置入院で入院している。やってしまったことのレベルに比べて、厳しい処遇もなく入院していることに、正直いって不公平さを感じてしまう。
罪を犯した人が、患者としてあなたの目の前にいる。白衣のあなたは看護するしかない。でも、白衣のなかでうごめく怒りや恐れ。白衣と肌のすき間に、とらえがたい何かが生まれている。それがあなたに巻きついて、しだいに苦しくなってくる。ナースは触法患者を、その患者の罪を抜きにしては看護できないし、罪だけを見ても看護できない。罪という目には見えないものを引きずってしか、その人の姿は見えなくなってしまっている。
「触法患者」という奇妙なことばが浮き彫りにするのは、対立した2つの考えの混在である。理屈としては同時に成り立たない事柄も、現実の世界ではあり得るのだ。1つ目の考え。罪を犯した者が、たとえ精神の病に冒されていたとしても、その罪は消えるのだろうか。罪は触法というレベルだけで語り尽くせるものではない。病気である前に“人間としての責任”があるはずだ。彼はまず償いをしなければならない――。2つ目の考え。精神の病に翻弄されて罪にはまりこんだ人に、治療ではない正義の断罪のみを下すのはどうだろう。病気は裁かれるものではないはずだ。その人の病苦を放置することは、“人間への責任”を放棄することではないか。だから医療はその責任を手放さない――。
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