連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第24回
「居場所」が拓く新しい訪問看護のかたち
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.290-291
発行日 2019年4月15日
Published Date 2019/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688201167
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「居場所」とケアとコミュニケーション
私はよく「リアル」という言葉を使う。この言葉で伝えたいのは、ケアの大部分は人の生老病死に関わる“現実(リアル)”のなかにあり、そこには意図のあるコミュニケーションの介在があるということ。このことの本当の意味は、自分の身体全体を通して具体的にわかるであろう。
前々回(本誌2019年2月号)、「居場所」について私は、それは〈生きる身〉の日時を刻む場である、その一瞬一瞬の記憶が1人ひとりの特別な日常を形づくる、という考えを述べた。そして前回(本誌2019年3月号)は、次のようなことを述べた。〈身の置き所〉というプライマリでプライベートな居場所である「自宅」に戻れない高齢者の状況に対し、公共の〈自宅でない在宅〉という新しい住まいとケアの場を構想し、地域に拓かれた高齢者施設の在宅化とエイジング・イン・プレイス(Aging in place)という普遍的な理念が生まれたこと。その実践の流れのなかで、がんも認知症も慢性病の1つとして、病とともに生きる当事者性をふまえ医療と介護を組み合わせた活動が少しずつ各地にみられるようになったこと。そして、個人や家族の衣食住(賄い、養い、育み、働き、巣立ち、終える—つまり生きていくうえで根源的な営みを支える身のまわりの世話[Personal Care])と、それらを外側から整えるまちづくりと、個人が自分にはないが欲しい経験知や専門知をそっと内側から支援する、新しい第三の居場所づくりの始動について伝えた。
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