連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第14回
日常性の世界を豊かにするケアのかたち❶
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.444-445
発行日 2018年6月15日
Published Date 2018/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200948
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北欧とフランスにみたデイケアのかたち
その昔、北欧を中心に高齢者ケアを学ぶ旅を何度かしたが、いつ、どこのことだったのか、さっぱり思い出せないのが口惜しい。しかし、高齢者ケア施設の居室内トイレの広さに驚きながらも、体格の大きさや「ケアする他者」と「される自分」の個体距離(personal distance、小さな防衛領域)を考えると、これくらいのパーソナル・スペース(対人距離)があってもいいのかと思ったこととか、食堂はもとより掃除ワゴン一式に至るまで美しい色彩空間に包まれて身体がほぐれる感じとか、居住者の好奇心に満ちた目や声の響きなどは、いまも鮮明に覚えている。多分、そのときの私には、日本の高齢者施設に住まう認知症の人々の感覚・知覚情報の乏しさが同時に感じられており、何かの拍子にその感覚が新しい意味をもって思い浮かぶといったようなことだったのであろう。
1986年のフランスの旅では、その国でも最初だという認知症中心のデイケアの様子を聞いた。家具の製作所を改装したというそのデイケアの日常を映したスライドには、4〜5人の女性と2〜3人の男性が、木材を運んだり、のこぎりを使った作業をしていたり、掃除やらトランプ遊びやら、卓を囲んで談笑する姿が映されていた。説明されなければどの人が支援者なのかもわからない、この映像を見ながら私は、なぜ、日中のケアなのか、それにどんな意味をもたせ、理念と目標をどこに置くか、民間が行なう場合の組織は、人は、ルール、秩序、手順などの決めごとはどう築いていくかなど、デイケアのケアのかたちを真剣に考えていた。
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