手のひらで知る世界 目は見えず耳は聴こえずとも・12
触れ合う世界の豊かさ
石井 康子
pp.1304-1306
発行日 1979年12月1日
Published Date 1979/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918839
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散歩のできない苦しさのほうが……
‘ここにお風呂があるのにどうして遠くの銭湯に行くの?’私の住んでいるアパートのすぐ横にある共同風呂を見ながら,大抵の人は必ずこう尋ねます.‘そうね,あのね私お散歩したいから遠くのお風呂に行くの.そんな時しか散歩ができないんだから.だってここの大家さんのワンちゃんは朝晩いつも散歩につれて出てもらって,私よりも文化的なんだもの.せめてお風呂に行くときぐらいは少しぐらい遠くても歩いていきたいのよ’
自分の朝寝坊はタナに上げて,大家さんの犬をうらやましがって言う私の言い草にみんなはお腹をかかえて笑います.‘犬以下だな……,じゃ今度クサリを買ってきてやるよ.せめて1日1回散歩につれていってあげよう’とまたお腹をかかえて笑っています.‘そうそうお願いクサリを買ってきて’私はすました顔で言う.それからゲラゲラと笑いころげてしまう.それくらい独りで自由に外を歩けない不便さはしんどい.
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