連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第13回
日常性の世界の文脈からみるケアのかたち
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.358-359
発行日 2018年5月15日
Published Date 2018/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200927
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人の顔と名前が一致せず、それとなくわかっているふりをする時間稼ぎ作戦が通用しなくなってきた。数日して、その人との出会いの場での会話などを思い出したときは、自分の記憶の衰えにがっくりする。「保存」されている記憶を引き出す時間が長くなってきているのだ。
池谷氏によると、記憶は適度なゆるさと曖昧さがないと他人の顔すら認識できないのだという*1。加えて「保留」という記憶の要素、たとえば「これはAさんのようだ」と保留し、また別の角度から見た顔も「これこそがAさんだったのか」と、ゆっくりと曖昧さを保持しつつ時間をかけて認知していかなければ、「使える記憶」は形成されないという。老いゆく者にとっては、物をつぶさに丹念にまさぐり、それと身を交わして使える記憶にしていく過程も、ゆっくりとしか流れないのだろう。
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