連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第3回
介護家族の支援に思うこと
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.494-495
発行日 2017年6月15日
Published Date 2017/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200722
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認知症対象の電話相談での私のスタンス
ぼけ老人を抱える家族の会(1980年発足、2005年認知症の人と家族の会に呼称変更。以下、家族の会)が京都に誕生してから今年で37年になる*1。“京都に住む認知症介護家族が集う”という小さな記事に、全国から100名に近い介護家族が馳せ参じ、この日のうちに全国組織「家族の会」が設立された。“わかってもらえる人がそこここにいる”と思う人たちの喜びが一気にヒートアップしたのだ。
同じころ、私は、認知症の人やその家族がどこにいて、どんな苦しみをもち、どのような助けを求めているのか、分かち合いたいのに顔が見えないもどかしさを覚えていた。ところが、この集いに千葉県から5〜6人の介護家族が参加していたと、早川一光先生から連絡が入り、「何とかしてやってください」の声に背中を押されて、この人たちのお宅に出向き、幾度か目には自宅持ち回りの小さな集いができた。一方で私は、電話相談の準備と「家族の会」千葉県支部づくりに取り組んでいた。当時、私が勤めていた千葉大学の大学院生だった永田久美子さんの尽力で、学部生の研究会もできた。これで、学生たちのサポートも期待できる。こうして1980年10月4日、研究室で“24時間対応”の電話相談はスタートした。同月25日には「家族の会」千葉県支部の第1回例会も開催できた。ここから私の猪突猛進の日々が始まった。
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