連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第4回
自立支援に思うこと
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.566-567
発行日 2017年7月15日
Published Date 2017/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200740
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「古い文化」を変えるには、新しいフレームワークを築くことから
〈認知症〉と〈非認知症〉を区別することから始まる疾病観を変える必要については、先の号でも述べたが、私にとってそれは、人口学的見地にもとづく将来的課題や医学診断上の問題にとどまる話ではない。むしろ、この病がもたらす何かしらの出来事によって理不尽な難題に遭遇している人々を目の前にして、私または私たち医療者(でなくとも、プロを自任する者)が「患者」とよぶことの居心地の悪さの正体を明らかにしたいという思いのほうが大きい。
「患者」という言葉に、人間性を支える徳性や平等性といったものが切り取られ、かつスティグマを纏(まと)っているような微妙なニュアンスを感ずる。定かではないが、この感覚の“なぜ”がきちんと書かれている論文は極めて少ないのではなかろうか。
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