連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第2回
当事者とは誰か?—新しい認知症ケアの時代がやってくる
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.406-407
発行日 2017年5月15日
Published Date 2017/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200703
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若年認知症の人の「生き場のない空白」を知る
3年ほど前に、若年認知症当事者を囲む仲間たちが集うフラットな組織の会合に初めて参加した。この日のテーマは、「がん対策基本法と同じように認知症対策基本法をつくるには、どんな準備がいるか」だったが、このような発想自体に私はびっくりしたし、新しい世代の認知症ケアの芽吹きにうれしくもあった。基本法づくりの話題提供後のグループミーティングの発表はグループによってかなり違ったが、私は「初期診断後のサービスの空白」について語られた、当事者2人の話が今も記憶から離れない。
Sさんは、「告知が、各種サービスのミスマッチやサービスの分断を引き起こしているのではないだろうか」といわれた。Dさんは、「私は、“患者”と呼ばれたい。よく、1人の人間として、とか、当事者中心、とかいうけれど、告知された者の衝撃を斟酌した中途半端な助言や、落ち込んで何も考えられないときの介護サービスの手続きを聴く苦痛を話された。そして、自分や家族が生きていくうえで必要とするサービスなのだから」という。たぶん、SさんやDさんのいう「サービスの空白」は、「生き場に支援が届かない空白」、その空白にはサービス資源の1つである「専門的職能にあるべき機能が機能していない空白」がある、と私には聴こえた。
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