書論
『やってくる』を読んで「やってきた」もの
冨塚 亮平
1
1慶應義塾大学・米文学/文化
pp.468-472
発行日 2021年9月15日
Published Date 2021/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689200927
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デイヴィッド・リンチが監督した映画『マルホランド・ドライブ』(2001年)の序盤には、その後展開する物語とはほとんど無関係な、ある印象深い場面が登場する。ハリウッドのサンセット大通りに位置するチェーン店のダイナー、ウィンキーズ。ただならぬ表情を浮かべたダンは、他の店舗ではなく「この」ウィンキーズに来たかったのだという。彼は、「この」店の裏で謎の男を壁越しに目撃する夢を見て感じたという恐怖について語る。そして、その恐怖をぬぐい去るために、同行者を夢で見た場所へと連れて行く。するとそこには、実際に毛むくじゃらの謎の男がおり、ショックを受けたダンは気絶してしまう。
また、ドナルド・バーセルミの小説『雪白姫』(白水社、原書1967年)にも、物語の本筋からは逸れる次のようなジェインと母の会話が現れる。「あの猿みたいな手は何かしら、ほら、わたしの郵便受けのなかへ伸ばしてきてるでしょ?」「何でもないわ。気にしなくていいの。何でもないったら。〔……〕猿なら猿でいいじゃない。変哲もない猿よ。もう気にすることないったら。それだけのことじゃない」「あなたって、こういうことをいとも簡単にうっちゃってしまうのね、ジェイン。それ以上の意味があるにちがいありません。あれは異常です。何か意味があるんです」「そんなことないったら、お母さん。それ以上の意味はないんです。わたしのいった意味以上は」
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