特別記事
看護師の見ている風景―国滅びてなお看護は滅びず
市橋 恵子
1,2
1京都南病院地域連携室
2前訪問看護ステーション堂山
pp.581-584
発行日 2011年7月15日
Published Date 2011/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688101928
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「訪問看護」から「退院調整」へ“25年ぶり”の病院勤務
昨年4月に9年間の訪問看護師生活をいったんやめて、急性期病院の退院調整看護師になった。振り返れば病院という医療施設に身をおくのは1994年以来―いや、私は1984年には看護専門学校の教員になっており、学生実習についていって臨床に触れてはいたが、病院の職員として働くのは“25年ぶり”なのだ。その間、病院という医療機関はおそろしいほどの変化を見せた。
1996年に病気療養中だった私は、黒江ゆり子先生(現・岐阜県立看護大学教授)に誘われて『Mastering Documentation』(邦題『看護記録をマスターする』1998年、医学書院)の翻訳に参加したが、そのとき初めて原文中で頻繁に使われる「クリティカル・パスウエイ」という言葉を知った。はじめは何を意味しているかさえわからないまま、当時サンフランシスコ市立病院にいたナースにその言葉を問い合わせると「それは、こちらでも新しいシステムなの」ということだった。
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