座談会
衛看滅びず—高知衛看10年の歩み
安食 正夫
1
,
笹原 那彦
2
,
芝田 不二男
3
,
和井 兼尾
4
,
森田 道子
5
,
山崎 近衛
5
,
木場 富喜
4
,
菊井 和子
5
1東京医科大学
2高知女子大学家政学部心理学
3高知女子大学教育学
4高知女子大学公衆衛生看護学
5高知女子大学臨床看護学
pp.28-33
発行日 1965年3月1日
Published Date 1965/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905425
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看護学は医学の奴婢ではない
司会(安食)全国で一番最初にできたこの大学の衛生看護学科もやがて10年目をむかえるわけですが,まず,できたときのいきさつについて。
笹原 一口に簡単に説明できないと思うんですけども,やっぱり今後の看護婦なり保健婦というものは,そうとう程度の高い,ただの患者のからだの世話をするというだけじゃなくて,もっと広い人間と人間との関係というものから,強い精神的な適応というものを患者の中に可能にするように働きかけができることが,看護婦,保健婦に必要じゃないかということが話として出ました。その中で,高知女子大学の家政学部が昭和24年にできあがったわけですけれども,元来この学校は,本当は医学専門学校として出発しているわけです。高知の医学専門学校は県立であった関係で,県費の関係もありまして高知女子専門学校に切りかえた。そして,生活科,生物科,英文科という3科で出発したわけですよ。しかし,医学専門学校時代のムードが残っていたということも言えると思うんです。割合に医学とのつながりが強かったということ,保健婦の養成所が,女子大の校舎の中にあったという関係もありましてね,そういう中で,いろんな関係者が思い切って作ってみようじゃないかということになったわけです。
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