連載 精神科医の家族論・5
父親と息子―ドストエフスキーの場合
服部 祥子
pp.700-703
発行日 2009年8月15日
Published Date 2009/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688101408
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父親と子ども ~切れた者同士の渋く深い味わい
医学生時代,受け持った患者さんにハンチントン舞踏病の父子がいた。60代の父親Iさんとその息子Tさんである。父親のIさんは大工を生業とし,真面目で頑固一徹な職人だったが,結婚直後の30代でこの病気を発症した。症状が進行するにつれてIさんは抑うつ気分が強く,怒りっぽくもなり,一子Tさんは妻の職場の男性との子どもと主張し,関係はぎくしゃくしていた。時が流れ,無口で真面目なTさんは左官業について独立した。ところがそのTさんが32歳になった時,父親と同じ病気が出てきた。父親は息子を病院に呼び寄せて,一緒に通院や入院をするようになった。私が会った時,Iさんは老年期を迎えており,病状は相当進行していたが,息子と一緒にいる時は何となく安らかな顔をしていた。2人がそっくり同じの独特の動きで歩いているところに出食わすと,「これは息子のTです。わたしら,よく似た親子でしょう」と,笑いながら話してくれた。Iさんの妻は,「病気はつらいことですが,遺伝性だったことで私たちは救われました」と,語った。
生理的に身ごもることも産むこともできぬ父親は,妻が産んだ子どもをわが子と信じることで受け容れるしかないという定めを,私はあの時はじめて実感した。病気という哀しみはあったが,まぎれもなく同じ病にかかったことで親子の心の通い路ができたことに私は不思議な感動を覚えた。
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