連載 人間として,医療人として―東海大「安楽死」事件はわれわれに何を教えたか・1【新連載】
事件の概要とその背景にあるもの
奥野 善彦
1,2
1北里大学
2奥野法律事務所
pp.66-72
発行日 1996年1月10日
Published Date 1996/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901946
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はじめに
東海大「安楽死」事件は,水準の高い治療体制を整えた大学の附属病院で,主治医とされた医師による治療行為の一環として発生した「事件」であった.その行為は,許容される「安楽死」としてとらえられるのか,それとも許されざる「殺人」としてとらえるべきなのか.あるいはその事件のよってきたる構造に着目すべきなのか.この事件には患者・家族と医療従事者とのかかわり,また,医療と,そこでの人権など,さまざまな問題をはらんでいた.事件発生約4年後の1995(平成7)年3月28日,横浜地方裁判所は,医師が患者を殺害したとして有罪の判決を言い渡した.
医療は単独では成り立たない.多くの医療従事者の連携があって実行されるものである.まして大学病院は,医療技術に関する高度な診療と優れた実績があると患者の期待を担うものであり,そこで提供される医療は,現代における最も進んだ医療水準による総合的な広義の医療でなければならない1).卓抜な知見とより豊かな経験をもつ教授,助教授等のチームに支えられ,患者を担当する主治医または担当医の具体的な医療行為は,これから育っていく医師の教育,研修の場である.一方では高度な診療の実践の場であり,またそうあらねばならない.そのため,このようなチーム医療の下で実施されていく医療行為は,たえず総合的なチェックを受けて,高度な医療水準の維持と向上のため,適切な配慮がされていなければならない.
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