新人看護職議員の永田町だより いま,国政の場では―看護職出身の2人の国会議員による活動日記
平和憲法を風化させてきた半世紀にピリオドを―戦後補償の実現によってアジアの人々に信頼される日本に
外口 玉子
1,2
1衆議院
2社会党
pp.327
発行日 1992年9月15日
Published Date 1992/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901901
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今,世界各地で人々は新しい時代の秩序を求めて苦悩しています,日本もまた,ゆれ動く国際社会の中で,これからの進路と担うべき役割とを問われています.地球時代にふさわしい理念ある外交政策を進めていくための「価値」の選択を厳しく迫られているのです.そうした重大な時期に開かれた二度の臨時国会,そして150日間という長丁場の第123通常国会は,日本の政治の根幹にかかわる問題,「PKO法」をめぐって対立し,国論を2分しました.「PKO法」の強行成立の過程は,まさに議会制民主主義のルールを踏みにじるものでした,例えば,質問者への答弁のボイコットなど,皆さんは報道を通じてどのように受け止められたでしょうか.
私が衆議院に送りだされて以来,この2年6か月間は,まさに歴史の曲がり角に立たされている感があります.米ソ間の冷戦が終了した後,世界は軍縮の方向へと大きくうねり始めている一方で,地域紛争が相次いで起こっています.「平和憲法」を持つ日本の私たちには,紛争の原因になる貧困や環境破壊の改善をはじめ,難民救済,戦後復旧など文民による民生面で行なわなければならないことが沢山あります.にもかかわらず,戦後47年を経過した今,憲法の無理な拡大解釈によって"自衛隊"という名の軍隊を肥大化させ,しかも海外に派兵しようとしているのです.私たちは憲法のかかげる理念とあまりにも掛け離れた現実に対して,もう目をつむることは許されません.
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