巻頭言
“障害の見える化”をするということ—決して風化させてはならない事実
松瀬 博夫
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1久留米大学リハビリテーションセンター
pp.1036
発行日 2023年12月18日
Published Date 2023/12/18
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- 文献概要
2023年10月31日,福岡県大牟田市にある大牟田吉野病院が閉院した.私は,2009年から約15年間非常勤医師として勤務した.私のリハビリテーション科医師の土台となる経験を与えてくれたこの病院とその背景を,多くの人に知ってもらいたい.
大牟田吉野病院は,設立当初「大牟田労災病院」という名称であった.この病院が建てられたきっかけは,1963年11月9日大牟田市三井三池炭鉱三川坑で起きた炭塵爆発であった.即死20名,一酸化炭素(CO)中毒死438名,そして839名の急性CO中毒者を出した.福岡・熊本県内の大学病院が重症者を受け入れ,またその後もCO中毒後遺症に悩む被災者の治療に当たった.このCO中毒後遺症の主症状は高次脳機能障害であるが,その用語すら確立していない時代であった.医療現場は,困惑の中も懸命に治療法を模索した.加えて,被災者の社会的受け入れは困難を極めた.そこで国は,組織的にリハビリテーション治療を実施し被災者の社会復帰を図る専門施設の必要性を認め,1964年「大牟田労災療養所」を開設した.のち1975年には「大牟田労災病院」と改称され,器質性脳損傷患者の内科的治療からリハビリテーション治療に至るまで一貫した治療が行われる施設となった.それは総合的なリハビリテーション施設の先駆けであったが,実情は大きな苦悩の連続であった.なぜなら“高次脳機能障害は見えにくい障害”であったからである.
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