連載 公立富岡総合病院・青木孝子―その人と実践・2
看護学校から群馬大学医学部附属病院へ
林 千冬
1
1群馬大学医学部保健学科
pp.900-905
発行日 2001年11月10日
Published Date 2001/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901336
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60年安保の世代
青木の看護学校入学は1960(昭和35)年。いわゆる「安保世代」である。1959年後半から激化しはじめた日米安保条約改定反対運動は,入学間もない青木たち1960年度入学生をたちまちそのうねりの中に巻き込んでいった.ことに群馬大学医学部附属看護学校は,大学医学部とサークル活動などを共にする機会が多かったから,単独の看護学校に比べて運動の規模はより大きかったであろう。
青木より1年上級のある卒業生は当時を振り返ってこう記している。
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