- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに
「応答的理性(responsive rationality:responsive Rationalität)」は,現代ドイツの哲学者B. Waldenfelsの概念である(Waldenfels, 2013)。この「応答的理性」を,本稿においては主に質的研究の営みを考察する概念として適宜改変して用いる(全3回)。「応答的理性」の主な論点は2つある。
第1の論点は,質的研究の基本的な研究単位(unit of study)としての「応答性(responsiveness)」(一連の応答)の重視である。質的研究の特徴としてしばしば「文脈性」が挙げられるが,この「文脈性」の中心的な事柄を「応答性」とみなすということである。
第2の論点は,論文等の研究成果とその読者との関係としての「応答性」である。本稿において,論文等の研究単位としての「応答性」の詳しい叙述が,読者の「応答性」を誘発しうることに着目する。
前回は,まず,一事例研究における普遍性を主張する河合(1994[1992];1995[1993])の議論を敷衍するために,J. Bruner(1986/田中訳,1998)の「人間の2つの思考様式」を取り上げた。Brunerによれば,人間には,「論証」と「物語」の2つの思考様式がある。前者は,「論理—科学的な思考様式」と呼ばれている。そして,その代表例は自然科学的な思考様式であり,「文脈独立性」を介して「普遍性」に到達する。他方,「物語」は文学や歴史等の思考様式であり,「文脈への感受性」を介して「普遍性」に到達するとBrunerは主張する。「物語」の思考様式において何らかの普遍性が生じうるということが,河合とBrunerの第1の共通点である。
第2の共通点は,物語の聞き手や読み手の関与である。河合もBrunerも,物語に接する人は,それを受容しているだけでなく,自ら自身で物語を生み出していると主張する。この点に関して,鯨岡(2012)は,〔物語の〕「書き手の固有性と読み手の固有性の交叉」を指摘する。そして,この交叉において,書き手が当初与えた意味が豊かになって,何らかの一般性(普遍性)が生じるのである。もちろん,この際に,書き手の固有性と読み手の固有性が完全に合致することはない。予め存在していなかった新たな意味が,読み手の経験の変化と拡張を引き起こすのであり,このような事態が「応答的理性」の圏域に含まれている。
今回は,まずWaldenfelsの「応答的理性」を紹介する(第1節)。続いて,この「応答的理性」を学問論に適用する(第2節)。前回はBrunerの「人間の2つの思考様式」(「論証」と「物語」)に依拠して議論したが,今回は,Brunerの「論証」と「物語」を,それぞれ「一般的理性(general rationality)」と「応答的理性」に包括して,より広い観点から考えてみる。最後に,詳細な一例の質的研究の「普遍性」に関して,Waldenfels等に基づいて明らかにする。
Copyright © 2023, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.