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はじめに
「応答的理性(responsive rationality:responsive Rationalität)」は,現代ドイツの哲学者B. ヴァルデンフェルスの概念である(Waldenfels, 2013)。この「応答的理性」を,本稿においては主に質的研究の営みを考察する概念として適宜改変して用いる(全3回掲載予定)。「応答的理性」の主な論点は2つある。
第1の論点は,質的研究の基本的な研究単位(unit of study)としての「応答性(responsiveness)」(一連の応答)の重視である。質的研究の特徴としてしばしば「文脈性」が挙げられるが,この「文脈性」の中心的な事柄を「応答性」とみなすということである。
そして第2の論点は,論文等の研究成果とその読者との関係としての「応答性」である。本稿において,論文等の研究単位としての「応答性」の詳しい叙述が,読者の「応答性」を誘発しうることに着目する。
前回はまず,一例を扱う質的研究において何らかの普遍性が存すると主張している2つの所説を紹介した。それは,臨床心理学の河合(1994[1992];1995[1993])と,保育学等の鯨岡(2005;2012)である。彼らは従来の自然科学的な普遍性(一般性)の重視を根本的に批判し,一例を扱う質的研究(河合の事例研究ならびに鯨岡のエピソード記述)の学的重要性を提唱している。
続いて,マーケティング研究の石井(2009)の「ビジネス・インサイト」の主要な論点を考察した。不確実性が高いビジネス上の判断を先導する「ビジネス・インサイト」の成立に関して,石井(2009)は,暗黙に知っていくプロセスを重視するM. Polanyiの議論(2009[1966]/高橋訳,2003)と,(必然性と相反する)偶有性の存在論に基づいて解明し,さらに,その「新しいケース記述」の議論において,「インサイト」を読者に伝えるための記述の特徴を明らかにしている。石井(2009)は,ビジネスにおける判断や実践が新たな現実を生み出していく「創造性(creativity)」を重視しており,ここに河合や鯨岡の論点との違いが見出される。
今回は,最初に河合の主な論点をまとめる(第1節)。次に,河合の「物語」をJ. Brunerの「思考様式の1つとしての『物語』」の議論によって敷衍する(第2節)。そして,(詳細な実践の記述等を)読むことについての現象学的解明を行う(第3節)。
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