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はじめに
わたしの専門は社会福祉学である。これまで,質的研究方法による病院のソーシャルワーカーの退院支援,および,障害者の自立生活の実現過程と支援の研究を,そして近年は,社会福祉施設における組織開発の実践による研究を行ってきた。現在は,社会福祉学における質的研究の傾向や特徴に関心を持って研究を進めている。所属する関西学院大学(以下,本学)の学部では社会福祉専門職の養成教育を含めた社会福祉教育に携わり,大学院前期課程では,着任以来,「質的調査法」という半期の科目を担当してきた。大学院後期課程では,質的研究をはじめ研究方法の科目は開講されていないものの,質的研究方法を用いた研究を考えている後期課程大学院生の相談に乗り,指導する機会がある。
わたしが社会科学の哲学として批判的実在論をはじめて知ったのは野村(2017, pp.24-32)によってであり,木下(2020, pp.356-372)でも取り上げられていたことから関心を持った。そこで,批判的実在論に基づく社会科学の方法を示したDanermark, Ekström, Jakobsen, & Karlsson(2002/佐藤監訳,2015)の『社会を説明する—批判的実在論による社会科学論』を,本学の所属学科の同僚教員(社会福祉学)を中心とする人たちと読み始め,先頃,読了したところである。他に,学外の批判的実在論の研究会にも,昨年から参加させていただいている。つまり,わたしは批判的実在論の初学者である。
わたしが批判的実在論に関心を持ったのは,この科学哲学を基礎に社会を研究する方法の道筋が示されている点であった。『社会を説明する』では,批判的実在論に特有の存在論と認識論をもとに,社会科学の研究対象とそれを探求するための方法が一貫性をもって書かれている。近年,存在論と認識論を基礎に,研究目的やデザインやデータ収集・分析法を統合し一貫させ研究を進めることが,日本で出版された社会科学の方法論の解説書(野村,2017, pp.2-37)や質的研究方法論の解説書(大谷,2019, pp.30-32, 37-43)でも強調されている。『社会を説明する』が示す批判的実在論による研究方法の道筋は,その見本のようなものであった。
今回,本誌から,社会福祉研究者の立場からみた批判的実在論の意義や可能性について執筆する依頼をいただいた。そこで先行研究を調べてみたところ,「批判的実在論」というキーワードでCiNii Articlesを検索しても,批判的実在論を取り入れた社会福祉関係の論文は見当たらなかった。したがって,社会福祉と関連づけた批判的実在論の研究はまだ進んでいないと思われる。わたし自身,批判的実在論の全体を知っているわけではなく,理解できていない点も多々ある。しかし,研究対象が社会福祉の研究と重なる部分も多く,社会福祉士・精神保健福祉士が連携することが多い看護という分野の実践者や研究者の方々とともに,批判的実在論を用いた研究の行い方や批判的実在論の意義や課題について議論を深めていきたいと考え,執筆させていただくことにした。
本稿では,社会福祉の中でも社会福祉の実践(援助・支援)としてのソーシャルワークに焦点を当てる。ソーシャルワーク実践をできるだけわかりやすく説明するならば,それは,人と環境(社会的環境,政治・経済,文化,物理的環境,自然環境等)の交互作用の接点に介入し,生活のさまざまな側面の困難を抱え,生きづらさや生活のしづらさを経験している個人,家族,集団,組織や地域社会,その他コミュニティの人びとの問題状況を軽減・解決し,そのウェルビーイングの向上をめざすとともに,環境に働きかけ変えることにも取り組むことといえよう。
本稿では,批判的実在論を用いた海外のソーシャルワークの文献をいくつか紹介した後,日本のソーシャルワークをめぐる今日的な状況の中で,批判的実在論を基盤とした研究方法によって,ソーシャルワークの研究を行う意義や可能性について述べていく。
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