特集 未来語りのダイアローグとオープンダイアローグ─看護研究における「開かれた対話」
看護学における「開かれた対話」
坂下 玲子
1,2
1兵庫県立大学看護学部
2兵庫県立大学臨床看護研究支援センター
pp.98-103
発行日 2018年4月15日
Published Date 2018/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681201485
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2016年,兵庫県立大学看護学部では,精神科医の斎藤環氏(筑波大学教授)と5名の指定発言者を招き,「オープンダイアローグを通して対話の可能性を考える」というテーマでセミナーが開かれた(川田,2016)。続いて2017年には,オープンダイアローグ(以下,OD)とならび,新たな「対話」の形として今後注目を集めるであろう未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogues;以下,AD)の開発者であり,ODの開発者J. Seikkula氏(ユヴァスキュラ大学心理学部教授)の盟友でもあるT.E. Arnkil氏(前フィンランド国立健康・福祉研究所教授)らを招き,「未来語りのダイアローグのワークショップ」(2017年11月27日)を行なった。そして今年1月には,OD・ADともに造詣が深い竹端寛氏(兵庫県立大学環境人間学部,当時は山梨学院大学法学部)を招聘し,「ダイアローグの可能性─竹端さんと共に考え合う一日」(2018年1月28日)というセミナーが行なわれた。これらはいずれも,「ひょうごオープンダイアローグを学ぶ会」主催のもとで開かれ,兵庫県立大学臨床看護研究支援センターも協力させていただいた。セミナーの詳細等は本特集の別稿に譲るが,一連のセミナーは,私にコペルニクス的転回を突きつけた。それは,カント(1787/原訳,2005)が論じたように,客体として私たちが思っているものは,自らの認識形式がつくりあげた主観であるという哲学的転回でもあるが,私個人としては,世界の絶対的中心であった自分から,他者との水平な関係性の中で存在する相対的な自分への転回でもあった。
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