連載 道拓かれて—戦後看護史に見る人・技術・制度・9
効率・便利さは看護に何をもたらしたか
川島 みどり
1
1健和会臨床看護学研究所
pp.882-887
発行日 1997年9月1日
Published Date 1997/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905431
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真夏の深夜電話
1955(昭和30)年夏,新築1年足らずの小児病棟.木造で天井が低い窓の外は,セメントを固めたベランダを介して雑草の茂る庭.外気の熱気がそのまま室内に流れ込み,夕方になると西日の照り返しと,面会時間をはさんでの泣き声で暑さ倍増.全患児への朝夕の清拭も無関係かのように,乳児の首筋はたちまち汗疹(あせも)だらけになってしまう.それだけではない,乳児や低年齢児たちは,夕方になるとどの子ぴゅーっと高熱を発した.術後の吸収熱なのか,感染が原因なのかの判断以前に,明らかにこれは,体表面積の比率(対体重)が大きいために起こる発汗による水分欠乏が原因の高熱である.治療目的で入院しているのに,病室が暑くて熱が出るのだと母親に説明するつらさ.
こずえたちは,午後3時の検温が終わると,一斉に低い水枕を作って乳児の頭の下に入れた.消極的クーリングである.発熱は避けられなくとも,こうすれば汗疹(あせも)の予防には少し役立った.制限のない限り,0.5%重曹とサッカリンの入った小児水を,せっせと飲ませて吹き出る汗による水分欠乏を防ぎもした.大量皮下注射以外,水分の補給手段が未発達の時代である.
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