特集 現象学を語る
【対談】現象学とグラウンデッド・セオリー
西村 ユミ
1
,
山本 則子
2
1首都大学東京大学院人間健康科学研究科
2東京大学大学院医学系研究科
pp.525-535
発行日 2015年10月15日
Published Date 2015/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681201173
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現象学とグラウンデッド・セオリーの類似性と相違点
山本 今年,西村さんが編集された『現象学的看護研究─理論と分析の実際』(松葉,西村編,2014)の「研究ノート」を『看護研究』誌48巻2号に書かせていただきましたが(山本,2015a),その中で西村さんも注目してくださったのは,グラウンデッド・セオリーとの類似性や相違点かなと思います。今日はそのあたりを中心にお話しできたらと思います。
グラウンデッド・セオリーで私が行なうコーディングは,「このデータはこういう意味だろうか」という解釈です。自分の解釈に名前を付け,私の言い方では「取っ手を付けるように」,カテゴリーとして仮に置いたコードをもとにコードリストをつくります。その上で次のデータを読み始めて,このカテゴリーはこのデータに照らすとどうだろうと検討していきます。ぴったり当てはまるカテゴリーもあれば,データとカテゴリーとの類似性は高いけど少し違うというものもあります。その少し違うデータをなんとか一緒のグループにし,さらに別のデータも一緒にできるようなカテゴリーにするにはどうしたらいいだろう,といったことを考えながら,カテゴリーづくりの微調整を進めます。それを何回も繰り返すうちに徐々にカテゴリーが揺るぎないものになり,「このカテゴリーで大丈夫だな」というように見ていきます。こうした分析のプロセスが,現象学の場合はどうなるのか。このあたりをまず伺えますか。
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