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はじめに
わたしの看護師としての実践は,生体肝移植を実施する施設での手術室看護と消化器外科病棟であり,双方を通して,生体肝移植の周術期の看護を行なった。
手術室での上司からは,生体肝移植ドナー(以下,ドナー)を担当する際,「ドナーは健康体なのだから慎重に看護を行なうように」とよく声をかけられていた。また,病棟へ異動し術前・術後の看護を担当するようになった際にも,上司から「生体肝移植ドナーは健康体なのだから」と言われたことを鮮明に覚えている。しかしわたしは,これらの言葉になんの疑問も抱かずに,移植医療の中でドナーの看護を行なっていた。
わたしは,ドナーを対象とした看護の実践の中で,ドナーとなった人々が見せるいくつかの反応に違和感を憶えることがあった。肝がんなどの疾患のために手術を受けた患者とは,明らかに痛みに対しての捉え方や術後の回復意欲に違いがあり,ドナーへのかかわりに対して難しさを感じていた。しかし,その違和感や難しさは,“ドナー”というくくりで一般化できるものではなく,年齢や性別,そして,親子間,夫婦間,きょうだい間というような,肝臓を提供する間柄でも違いがあるのではないかと感じることがあった。
大学院進学後は,臨床時代に感じていたドナーに対しての違和感や難しさに接近するための研究に取り組んだ。その結果,わたし自身,臨床で看護実践を行なっていたドナーに対して,“健康体”や“自発的意思に基づく提供”という言説をもとに向き合っていたことに気づかされ,大いに反省させられた。
本稿では,わたしの大学院での研究の結果をもとに,生体肝移植ドナーの語りにみる言説の影響を明らかにして,われわれ看護職者が患者に向き合う際の態度とはどうあるべきかを考察したい。
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