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はじめに
ミシェル・フーコー(Michel Foucault,1926-1984)は,身体的健康や人口に焦点を合わせ,人々を管理し統制する医学的・社会的介入について,「生権力」という概念を導入し,論じている(Foucault,1976/渡辺訳,1986,pp.171-203;Oksala,2007/関訳,2011,pp.131-132)。生権力という考えが光を当てたのは,科学的知が権力の道具となり,近代社会において人々が生を自分の問題として取り上げ,管理し,変更するという社会-政治的制御を支えるしくみである(Oksala,2007/関訳,2011,p.132)。
Murphy(2000)は,女性が基準に従い自分自身の行動を統制するとき,その中心に医療者による専門的知識が存在するという権力関係の主な例に“授乳”をあげている。現在,母乳育児は,WHOとUNICEFが中心となり,途上国および先進国を含めた全世界で推進されている授乳方法である。母乳が赤ちゃんにとって「理想的な食べ物」(WHO,2013)であるという言説は,子どもの健康を守るための科学的知識であり,規範となっている。しかし言説はまた,人々にとって障害となり,抵抗や正反対の戦略を生み出すための出発点でもある(Foucault,1976/渡辺訳,1986,p.130)。つまり,人々の生を支えると信じられている言説は,健康や幸福の増進を図る権力として人々に作用すると同時に,人々からの抵抗を生み出す場ともなり得るのである。
小林(2001)は,母乳哺育を科学的に解明し,その重要性を強調していったことにより,母乳哺育を実践しようとすることには,母性の自覚を高めるためという目的に一元化されてしまう危険,すなわち母子をめぐる生権力に取り込まれてしまう危険を孕んでいると指摘する(pp.154-155)。本稿では,「母乳が最善である(breast is best)」というスローガンのもと展開される“母乳育児推進”が,どのような権力装置であるのかについて,授乳支援に携わる助産師の語りを通して考えていきたい。
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