連載 スクリーンのなかの助産師 出産シーンあれこれ・9
アジア映画のなかの出産シーン「悲情城市」
渡辺 俊雄
pp.778-779
発行日 2015年9月25日
Published Date 2015/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665200305
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アジア映画の名作にも出産シーンは出てくる。なかでもいちばん記憶に残っているのは,アジア有数の監督の1人,台湾の侯孝賢監督の最高傑作といわれる「悲情城市」(1989)である。この映画は1945年の日本の敗戦と台湾からの撤退に始まり,1949年に蒋介石の国民党政府が台北を臨時首都と定めるまでの激動の4年間を,地方の有力者の一家,林家の長老とその息子たちの姿を通して描いた一大叙事詩で,イタリアのヴェネツィア国際映画祭で最高の金獅子賞に輝いたアジア屈指の名作である。人気俳優トニー・レオンが出演していることでも有名だ。
特にこの映画の冒頭は衝撃的だ。舞台は台湾北部の町・基隆。ここで1945年8月15日,ラジオから昭和天皇の玉音放送が延々と流れるなか,その出産は行なわれる。土地の有力者である林家の長男,いかつい顔をした文雄が仏壇にとてつもなく長い線香を供え,安産を祈っている。暗い産室には,お腹の大きな若い女性が横たわっており,すぐそばに産婆さんと思われる年配の女性が座って,産婦のお腹をさすりながら台湾語で励まし続ける。「楽にして。早く生まれて来るように」「合図をしたら口をあけて。それまでは口を結んで我慢するのよ」「ほら,また痛いよ。しっかり口を閉じて。お通じみたいな感じね。そうでしょ」「お通じみたいに,いきめばいいのよ」。そして「見えてきたわ。お湯を用意して」と,そばにいた若い助手らしき女性に命じる。この間にも,ラジオからは昭和天皇の玉音放送が流れ続けている。終戦の日を象徴する玉音放送は,日本でも映画やテレビではおなじみだが,これほど長く使われているのは見たことがない。
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