世界の波
アジアのことはアジア人でやろう
末松 満
pp.36-38
発行日 1952年8月10日
Published Date 1952/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200338
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日本占領の総本家を,東京にあつた連合軍総司令部だと思いとんでいる人があろう。ところが大ちがい一極東委員会というものがワシントンにあつて,ここに集まる13国の代表が「日本を煮て食おうか,燒いて食おうか」の相談をおことない,出来上つた献立表をマッカーサー元帥なり,リッジウェー大將なりへ送つてよこしたものである。いわば元帥,大將も,極東委員会の料理番に過ぎない。この料理番が台所でほうちようを揮うとき,相談相手にしたのが対日理事会であり,この理事会のためにアメリカ,英連邦,ソ蓮,中国が代表を送つていた。
サンフランシスコ条約が効力を発して,東京にあつた占領軍総司令官は姿を消した。相談相手たる対日理事会には,もう御用はない。だからソ蓮代表部も東京に居る理由はない--というので我が外務省は「出ていつてくれ」との手紙を,代表部のルノフ参事官に読んで聞かせたものだが,それから二週間ほどたつた六月中ば「出ない,居坐るぞ」との回答がソ連側から届いた。
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