特集 理想の分娩第1期のケア
事例の場面を振り返る
③産婦とプロセスすべてを受け入れる助産ケア
川野 裕子
1
1瀧澤助産院
pp.774-780
発行日 2004年9月1日
Published Date 2004/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100815
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はじめに
私の勤務する瀧澤助産院は,昭和22年,現院長である瀧澤和子先生の母,瀧澤ふみ先生によって開業された。空襲で自宅を失った妊婦たちに,瀧澤家を一時的に開放したのが始まりだった。状況に迫られた必然のため,入院部屋があるわけもなく子どもたちの部屋が元祖LDRと化した。広い空間でもない自分の家や部屋が急にお産の場に変化するだけでなく,引き続き自宅出産などに奔走し不在がちなふみ先生。和子先生は,当時の寂しさや母の存在の大きさなどから,資格は取ったものの助産婦にはならず,養護教諭として31年間小学校等に勤務した。その後,50歳で助産婦へ転向したのは,年老いて腰を痛めたふみ先生をサポートするためと,後を継ぐことは,それ以上回避できない人生の宿題と感じたからだった。
和子先生は養護教諭時代から,お産が重なるとふみ先生に代わって介助されるなど時折手伝うことがあったが,ふみ先生の仕事を目の当たりにすることはなかった。2代目助産婦となってからも,ふみ先生の体調不良で共に働くことはほとんどなく,即実践であったという。「待っていれば生まれてくる」。ふみ先生の言葉を頼りに,今日までこの助産院を守ってこられた。そんな背景を持つ瀧澤和子先生の助産ケアは,自らの工夫とさまざまな局面で向き合う自己との対話から生まれ,結果として出会った女性と生まれてきた子どもたちから学んだものばかりだという。今回は,前回帝王切開の女性が自然出産するまでのプロセスで和子先生がどのようなかかわりをもったのかを,筆者の視点から振り返ってみたいと思う。
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