特集 「陣痛」と「麻酔」
産痛をどうとらえるか―医師の立場から
久 靖男
1
1(医)母と子の城 久産婦人科医院
pp.494-498
発行日 2005年6月1日
Published Date 2005/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100221
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はじめに
医聖ヒポクラテスは「医師は患者に対し,あらゆる手段を用いて善を施こさねばならない。もし善が行なえない時は害を及ぼしてはならない」といっている。これはM.Odentの「医療の簡素化と不要なものの排除」1)に相通じるものである。
筆者も大学紛争の真最中に卒業し,入局を拒否して研修を始めたため,自分への戒めとして「患者にとっていいものはすべてやる。悪いと思われることは一切やらない」ことを誓いとして医師としてのスタートを切った。以来それをできるだけ忠実に守ってきたつもりである。“いいお産”とは何か,すべてをその観点から考えて行動してきた。今もヒポクラテスの言葉は医療の原点であり,医師はいつもこの原点に戻って自分の医療行為を見直さなければならないと思っている。
医学の歴史は進歩の歴史ではあるが,裏をかえせば誤りの歴史でもある。“医学の進歩”の陰には無数の死があり,苦痛を味わった人々がいる。乳がんの乳房温存術の是非なども,その一例であろう。出産においてもこれと同様に,安全性や快適性の名の下に本来ハイリスクの出産には有効な医療技術が,ローリスクの人に導入されることで自然な出産のメカニズムが破壊され,母と子の絆の形成が損なわれてきた経緯がある。私たちは出産の現場においても医療行為を行なう時は,ヒポクラテスの原点に戻って,本当にその行為が母と子の幸せに貢献するものか,謙虚に反省しなければならない。
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