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はじめに
“産みの苦しみ”という言葉がある。広辞苑によれば,「子を生むときの甚だしい苦痛。転じて,物をつくりだし,事を始める時の苦しみ」とある。出産に“苦しみ”“痛み”はつきものらしい。子どもを産んだことのない人が,「どんな痛み?」「どれくらい痛い?」と,出産経験のある人に尋ねる光景はよく目にするし,尋ねられた経験をもつ出産経験者も多いのではないだろうか。
出産から痛みがなくなったらどうなるだろう。一般に,人が痛みから解放されることは歓迎されることである。しかし,下記のような場合には,すぐには歓迎されないかもしれない。
一つは,痛みに意味がある場合。それは医学的意味かもしれないし,社会的・文化的意味かもしれない。痛みの存在が必要であり,不可欠であり,大切な経験であるという意味を持つとき,痛みの除去は歓迎されないこととなる。
もう一つは,不公平感。今まで痛みを感じてきた人が,同じ経験を「楽々」こなす人,同じ時間を「楽」に過ごせる時代を迎え,なんとなくフェアでない,自分は損をしたと感じる。このような感情は,理不尽なこと,つまらないことと思われるかもしれないが,社会的言説にも少なからず影響する。
また,自分は痛みに堪えて出産したということを「誇りに思っている場合」あるいは,意識的あるいは無意識に「優越感」になっている場合も,立場が対等あるいは逆転する(たとえば麻酔をしないで産むことが「昔の」「古い」お産と言われてしまう)のではないかと,抵抗を感じるかもしれない。
さらに,妊婦が痛みを感じないことに危機感を感じる人もいるかもしれない。痛みに積極的意味を見出さない場合でも,痛みがなくなることで何かを失うのではないかという,漠然とした,あるいは,具体的な“問題意識”である。
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