特集 「わかること」「わからないこと」の間にある遺伝の話
出生前診断と生命倫理
松原 洋子
1
1立命館大学大学院先端総合学術研究科
pp.138-141
発行日 2005年2月1日
Published Date 2005/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100145
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「遺伝カウンセリング」の誕生
「遺伝カウンセリング」(genetic counseling)は,1947年に米国の人類遺伝学者リードによって作られた言葉である。リードは遺伝カウンセリングの歴史を回顧した1974年の論文で,「優生学的意味を持たない一種の遺伝学的なソーシャル・ワークとして遺伝カウンセリングという言葉を思いついた」と述べている。
20世紀前半に流行した優生学は,遺伝学的知識にもとづく生殖への介入によって,人口の質を向上させようとする思想であり,実践であった。そこでは多くの場合,障害者差別や人種差別,また社会秩序を乱すとされた性質の排除が,遺伝という概念と結びつけられた。優生学は多くの被害者を生み出したが,特にナチス・ドイツで強制的な断種(不妊手術)や安楽死政策に結びついたことで知られる。ナチス・ドイツにおける非道な人体実験の衝撃は,戦後ニュルンベルク・コード(1947年)とヘルシンキ宣言(1964年)につながり,医療倫理の柱にインフォームド・コンセントを据える原点となった。同じように,優生学の苦い経験も,戦後の遺伝カウンセリングや出生前診断では教訓とみなされてきた。前述のリードの言葉はそれを反映している。クライエントの気持ちと自己決定を尊重し,「こうすべきだ」という指示はしないという遺伝カウンセリングの基本姿勢の背景には,カウンセリング理論だけではなく,このような歴史的経緯が存在している。
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