読者談話室
奨励賞受賞に際して,研究者として何を考えたか
大久保 功子
1
1信州大学医学部保健学科
pp.144-145
発行日 2005年2月1日
Published Date 2005/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100146
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受賞を素直に喜べない理由
「出生前遺伝子診断による選択的中絶の語り」*で,日本看護科学学会から学術論文奨励賞をいただいた。多くの方々が論文になった物語を読み,何らかの普遍性を理解してくださったのだと思うから,評価してくださった方々に心から感謝を申し上げたい。ただ,「おめでとう」と言われるたびに申し訳ないが,気持ちが沈んだ。どうして素直になれないのかをお伝えしたいし,伝えることが1つの責務だと感じている。
1つには人の苦しみを題材に記述したということ。明らかに苦しんでいる人がいらっしゃることを伝える論文であり,人の苦しみで賞をいただいたことになる。中坊公平氏が「医者と坊主と弁護士は人の不幸を飯のたねにしているという自覚を持つべきだ」と言っていたことを思い出す。それぞれには病気と闘う,魂を癒す,被害者救済という社会的大義名分が一応あるが,いったい助産や看護にはどんな社会的立場がとり得るのだろうか。ケアすると胸を張りたいが,あまりにも普通のことでありながら,医療とからむと自律的なケアの実現は至難の技だ。ケアを必要としている人の存在を知ってしまった以上,知らなかったことにはできない。なのに,自分たちには何もできないというもどかしさと,何もしていないという後ろめたさがある。「あなたの論文には社会的立場が無い」と,トロント大学留学中の友人から手厳しい指摘を受けたが,それはこのことだったのだと,今ならわかる。
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