連載 水俣病から学ぶ・8
地域社会の崩壊から再生へ―水俣はこうして「誇り」を取り戻した
吉本 哲郎
1
1現水俣市教育委員会生涯学習課,前農林水産課,前環境課
pp.615-618
発行日 2003年8月1日
Published Date 2003/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100930
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タブーだった水俣病のこと
私は1971年に水俣市役所に勤めることになったが,当時水俣病のことを話すのはタブーだった.地域住民の間では,水俣病患者に対する悪口が飛び交うなど,人々の悪感情がむき出しになり,とても人間の住む所ではないと感じる場面に出くわすことがたびたびあった.人の気持ちが荒んでいたのである.私の母親も「本当の患者は可愛そうだけど……」と悪口を言い出すので,「そんなことは言うな」と言ってきたけど,止められなかった.私自身は個人的に水俣病患者に会い,話を聞いたりしていたが,「市役所を辞めさせろ」という声が聞こえてきて,水俣病について口をつぐむようになっていった.
それから20年が経ち,今は亡き郷田實さん(前宮崎県綾町長)が私の家に来てくれたので,郷田さんに会いたがっていた水俣病患者で網元の杉本栄子さんと,夫の雄さんを自宅に招いた.はじめて患者に会った母親は,それからは一言も悪口を言わなくなった.わかったことは「距離を近づけ,話し合い,対立のエネルギーを創造のエネルギーに転換すること,そのためにはお互いの違いを認め合うこと」の大切さだった.1991年のことである.
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