連載 水俣からのレイト・レッスン・2
水俣病事件史から学ぶ
原田 正純
1
1熊本学園大学水俣学研究センター
pp.630-635
発行日 2012年7月10日
Published Date 2012/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1664101920
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奇病の発生
1956(昭和31)年4月23日,水俣市の海岸沿いの集落の5歳11か月の女児が脳炎様の症状でチッソの付属病院に入院してきた。次いで2歳11か月の妹が発病して,29日に入院してきた。その母親の話によって隣家にも5歳4か月の女児が同様の症状で発病していることを聞かされ,医師たちは驚いて調査を開始した。その結果,8人の同様な患者を発見したので,5月1日,「水俣市の漁村地区に原因不明の中枢神経疾患が多発している」と水俣保健所に届け出た。これが水俣病発生の公式確認であった。
その後,チッソ付属病院,水俣市立病院,医師会,保健所などが「奇病対策委員会」を組織し,調査を開始した。その結果,8月までに30人,暮れまでに54人の同様患者が確認された。すなわち,水俣病の発見は幼児の患者が多発したことによって発見されたのである。それは,人において環境汚染の被害を最も早く,重篤に受けるのは胎児,幼児,老人,病人など生理的弱者であることを示している。
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